01/30
世界遺産の街であり、シリア第二の都市であったアレッポのサラハディーン地区。
かつてはお洒落な服屋が立ち並び、若者たちで賑わっていたという通りも、政府軍と自由シリア軍の激しい戦いで破壊されつくした。シリア・2013年
02/30
ガラスに空いた生々しい銃弾の痕から、子供の手を引いた男性が道端で談笑する姿が見えた。
2011年に始まった民主化運動が戦争に発展し、それぞれの思惑を持った外国が介入して泥沼化した戦いは7年以上も続いている。シリア・2013年
03/30
自由シリア軍による毛布の配給に殺到する人々。雪が降る寒さの冬のアレッポで、ガスも電気も燃料も無く過ごす夜はとても辛い。
人々は破壊されて廃墟と化した家から家具を持ち出し、それを斧で割って薪代わりにする。それをストーブに入れると有害な塗料が溶けて頭がズキズキクラクラしてくるが他に方法はない。シリア・2013年
04/30
常に動き続け、背の高いビルが密集したエリアでは政府軍の兵士がどこにいるのか、その姿が全く見えない。常にスナイパーに狙われている恐怖が神経をすり減らしていく。シリア・2013年
05/30
政府軍スナイパーの弾に当たらないよう全速力で道を駆け抜ける市民。子供、女性、妊婦、老人、皆関係なく、動く者は誰でも狙われた。
近所のパン屋にパンを買いに行くのも命がけで、市民の多くが政府軍スナイパーの無差別で非人道的な攻撃を非難していた。シリア・2013年
06/30
母親の墓の前で泣き崩れる男性。足が悪い彼は、外に出れば無差別な砲撃と空爆の嵐が待っているため2年間自力ではここに来れなかったという。シリア・2013年
07/30
アレッポ市内の自由シリア軍支配地域にて銃を構える少年たち。兄弟や父親が戦いに参加していれば、自然と武器が身近な存在になっていく。
そして家族や友達、親戚が戦いで殺されれば幼い心は復讐へと向かっていく。悲しみ、怒り、憎しみは次の世代へと連鎖していき、終わることのない負のループが続いていく。シリア・2013年
08/30
政府軍に対する大規模な攻撃作戦に向かうトラックの中で祈りを捧げる自由シリア軍兵士たち。自由シリア軍の多くはタクシードライバー、商店経営者、農民、大学生、弁護士などごく普通の一般市民だった。
まさかシリアが戦争状態になり、自分が銃をとって戦う事になるとは思っていなかったと兵士たちは口にした。
しかしこうなった以上、自分たちの街や人々を守る為、アサド政権を倒す為なら命は惜しくないと言う。普段は陽気な彼らも、この時ばかりは緊張した面持ちになった。シリア・2013年
09/30
ISからイラク第二の都市モスルを奪還するために戦うイラク連邦警察軍の兵士たち。IS陣地との距離はわずか200mほどで、ISが飛ばすドローンが上空を通り過ぎたかと思うと迫撃砲が次々に飛んできた。
若いスナイパーたちは、仲間達の間でどれだけISの戦闘員を撃ち殺したかゲームのようにその数を競い、誇らしげに私に伝えてくるのだった。
同僚や故郷をISに奪われた彼らの憎しみは深く、それは彼らの言葉の端々から感じられる。モスル奪還作戦でのイラク軍側の死者は1200~1500人に上った。イラク・2017年
10/30
モスル西部、イラク陸軍特殊部隊の野戦病院で治療を受ける男性。9ヶ月に及ぶ奪還作戦での一般市民の死者は1万人以上と推定されている。
米軍による空爆、イラク軍による砲撃は凄まじく、米軍の空爆により民間人が一週間で300人以上犠牲になり調査が行われる事態になることもあった。
そのため、モスル市民には政府に対する不信感が色濃く残っている。イラク・2017年
11/30
モスル奪還作戦が終了した後、捕らえられ裁判所の庭に並ばされるIS戦闘員たち。
数百ドルの給料で雇われて戦っていたモスルの地元民、ISの思想に共感して参加したイラク人、外国人戦闘員など構成員は様々で、大学生くらいの若者から50代くらいの戦闘員もいた。
作戦終了後に約2万人のIS戦闘員が拘束され、その多くが110カ国から集まった外国人戦闘員だったという。イラク・2017年
12/30
トルコ沿岸からギリシャのレスボス島に近づく難民を乗せたゴムボートと、それを追うEU国境警備組織Frontexの船。
シリア、イラク、アフガニスタンなど戦争が続く国から脱出してきた人々が、定員 20人ほどのボートに多い時で65人以上も押し込められている。
当時、1日に10〜20隻近いボートが海を渡ってきていた。海を初めて見るという者も多く、みなトルコの街中で救命胴衣を買うのだという。ギリシャ・2015年
13/30
ギリシャ側の海岸に無事到着して抱き合う親子。ボートに乗るにはトルコ側で密航業者に15万円~20万円以上のお金を払わなければいけないという。
2015年の夏に地中海をボートで渡ってヨーロッパを目指す難民たちがニュースで報じられるようになってから、少なくとも8500人以上がこの海の底に消えていった。北アフリカから地中海を越えてヨーロッパに逃げる者たちも多い。ギリシャ・2015年
14/30
Frontexに身柄を拘束されて尋問を受ける難民の男性と抗議する人々。彼は何も知らないまま、たまたまボートの粗末なエンジンを操縦する役目になっただけだが、他の難民たちも乗せているために逮捕されて人身売買補助の罪に問われる可能性があるという。ギリシャ・2015年
15/30
4歳になる娘を肩に抱えて歩く父親を、レストランの観光客が興味深かそうに眺め写真を撮る。父親によれば娘はシリアから脱出するときに足を骨折してしまったらしく、彼はこの先常にこうして娘を抱えて歩かねばならない。ギリシャ・2015年
16/30
何時間も炎天下の山道を歩いて、やっと遠くに街を見つけて安堵の表情を見せる難民の若者たち。家族を戦争が続く国に残して、先に稼ぎ手としてヨーロッパを目指す父親、戦争で身寄りがない者、ヨーロッパにいる親戚を頼りに単独で海を渡る者、境遇は一人一人違う。ギリシャ・2015年
17/30
元自動車教習所だった急ごしらえの難民キャンプでシャワーを浴びる難民たち。押し寄せる難民に国連からの援助は全く足りておらず、民間NGOによる小規模の支援と、わずかな手持ちのお金で生き残るしかない。
難民相手にキャンプの外で携帯電話のSIMカードを売ったり、食料や日用品を売る者まで現れた。ギリシャ・2015年
18/30
レスボス島の市街地で、疲れ果てて着の身着のままに寝る難民の家族。難民たちはギリシャの一時滞在許可が出るまでこうして路上生活を続けるしかない。彼らはホテルに泊まったり、タクシーに乗ることさえできない。
それは人身売買補助の罪に問われる可能性があるからで、島のホテルやドライバーは難民お断りの状態だった。ギリシャ・2015年
19/30
ギリシャ本土アテネ行きのフェリーに乗った仲間達を見送る難民たち。フェリーは難民たちで常に満員で1~2週間待ちの状態だった。
彼らはヨーロッパ本土に着いてから目的地にたどり着くまで、どれだけ苦難の道が待っているかをまだ知らない。安全な場所への旅はまだ始まったばかりだ。ギリシャ・2015年
20/30
10歳になるバセルは、彼の故郷であるシリアのダラーという街で友達と遊んでいる時に地雷を踏んだ。
両足の膝から下と左手を失い、右目を負傷、両耳の鼓膜も破裂した。兄弟と父親は殺され、孤児となった孫の世話を見るために彼の母親はシリアに留まざるを得なくなった。ヨルダン・2016年
21/30
アンマンの施設でリハビリ治療中に、気分が滅入ってひどく落ち込むシリア人難民のファイズと彼を慰める職員。
シリアの戦争で負傷して以来、車椅子生活を余儀なくされている。若くして戦争により不自由な体になってしまった彼らの中には、塞ぎ込んで将来に絶望する者も多く、一般的に陽気なシリア人のそんな姿には胸を締め付けられる。身体的なサポート以上に精神的なサポートが必要だろう。ヨルダン・2016年
22/30
モスル近郊の難民キャンプに避難してきたレイラ(47)と彼女の子供たち4人。ISとの戦闘はついに終わったが、IS戦闘員だった父親の生死は不明のままだ。
父はイラク軍と連合軍がモスルに迫ってきた時、レイラと子供たちに街を出るよう告げて、自分は街に留まって戦うことを決意したという。ISに参加していたものが身内にいたとわかると、差別を受け脅されたり、家に火をつけられたり、街を追われることもあるという。イラク・2017年
23/30
イラクやアフガニスタンで戦死した米軍兵士たちの家族や友人が、政府に対してホワイトハウスの前で抗議活動を行う。中には無事に任務を終えてアメリカに帰還した後に、PTSD(心的外傷性ストレス)で自殺をした兵士の家族もいる。
帰還兵がPTSDでドラッグに溺れたり、ホームレスになったり、フラッシュバックに襲われ殺人を起こしたりと、社会復帰ができずアメリカで大きな問題になっている。
何の為に自分は戦って、何の為に仲間たちは死んでいったのか。国の為に戦ったはずなのに、帰還後そこに自分たちの居場所を見つけられず苦しむ元兵士たちがたくさんいる。アメリカ・2010年
24/30
アフガニスタンでパトロール中に戦死したスコット・ミレー中尉(23)。 彼の出身高校で行われたセレモニーで柩が敬礼とともに見送られていく。
スコットは高校ではホッケーのスター選手で2005年に卒業、戦死する前年にニューハンプシャー大学を卒業したばかりだった。アメリカ・2010年
25/30
大統領就任式前日に、ワシントンDCのリンカーン記念堂で行われたトランプ大統領の演説に聞き入る聴衆。アメリカはこの選挙をきっかけに分断されたと言われている。
トランプ支持派と反対派で意見は真っ二つに別れ、各地のデモでお互いが激しく衝突し、あたかも暴動の様になる状態である。アメリカ・2017年
26/30
トランプ大統領就任式の日に行われた大規模な抗議活動で、ワシントン市街地を警備する兵士たちと反トランプ抗議者の女性。
トランプ大統領はアフガニスタン駐留米軍を民間軍事会社のブラックウォーターに置き換えようとするなど、戦争の民営化を進めることに対しても前向きである。
2003年のイラク戦争以降、ますます加速する戦争の民営化でアメリカの軍産複合体事業は膨れ上がり、もはやアメリカ経済は戦争なしには立ち行かない状況になってしまった。アメリカ・2017年
27/30
トランプ大統領の移民政策に対して抗議の声をあげるニューヨークの人々。トランプ大統領はこれまでのオバマ大統領の政策と違って、移民や難民に対して厳格な姿勢で向き合う政策を取っている。
今まで表面化することなく燻っていたムスリムに対する差別や暴力事件が増え、リベラルと言われているニューヨークでもムスリムの人々が襲われる事件が発生した。こういった事態を受けて、徒歩で国境を越えてカナダに逃げるムスリムの移民たちも出始めた。アメリカ・2017年
28/30
ボストンにあるアメリカ東海岸最大級のモスクにて、聖職者の説法に聞き入る人々。世界中からアメリカにやってきたムスリムの移民、難民、クリスチャンから改宗したアメリカ人など集まる人は様々である。アメリカで最も伸びている宗教は現在、イスラム教である。アメリカ・2011年
29/30
ISから解放されたイラク第二の都市モスルにて結婚式を挙げる新郎マフムードと新婦イクラス。二人は2年越しに結婚するという。新郎のマフムードはサダム・フセイン政権下で軍人だったが、退役後はモスルで小さな雑貨屋を開いていた。ISがモスルを占拠したのち、元イラク軍だということで彼は捉えられ、投獄されていた。モスルが解放され、ひとまず戦闘が終結したことで部分的ではあるが日常生活も戻ってきている。
たとえどんなに厳しい状況でも、そこに人がいる限り日常生活は続いていく。イラク・2017年
30/30
アフガニスタン首都カブール郊外の学校で、子供達による演劇を見て笑顔を見せる少女たち。今も1000万個以上の地雷や不発弾が残り、タリバンとの戦いが終わらず40年近くも戦乱が続く国だが、学校では将来に希望を抱く力強い子供達の姿も見ることが出来る。
憎しみや怒りから生まれる戦争の負の連鎖を断ち切り、荒廃した国土や人々の心を立て直すには、その国の未来である子供達の教育が最も重要だ。アフガニスタン、2006年